美鶴は慌てて立ち上がった。
「なっ なによっ」
「ヘンなコト言うなっ! メリエムはそんな女じゃないっ!」
「そんな女ってっ?」
「メリエムが好きなのは僕なんかじゃないっ! 誤解するなっ!」
「べっ 別に、そんなコト言ってないじゃないっ。そこまで怒らなくったって……」
言い過ぎたとは思いながらも、それを素直に認めることのできない美鶴。謝ってしまえば済むものを、わざと油を注いでしまう。
「そんなに腹立てるなんて、余計おかしい。アンタひょっとして、メリエムさんのコトが好きなんじゃ―――」
―――――っ!
それ以上、口にすることができなかった。
凄み―― とは、このような迫力のコトを言うのだろうか。
全身が固まる。
「じょ… 冗談よ」
完璧に圧倒されているにも関わらず、この期に及んでもなお憮然とした態度。瑠駆真は軽く唇を噛む。
「冗談でも……… 言って欲しくはない」
微かな苛立ちを眉宇に漂わせ、視線を落す。
「僕が好きなのは、君だけだ。それ以上の人はいない」
わかっているはずだ
そう言いた気な瞳を向けられ、今度は美鶴が視線を外す。
認めざるを得ないという思いと、認めたくないという思い。認めてはならないと叱咤する思いがグルグルと渦巻き、どう対応していいのかわからない。
そんな戸惑いをチラつかせる美鶴の表情に、瑠駆真がホッと我を取り戻す。
「悪かった。……言い過ぎた」
だが……
「聡がいないのに君との距離が縮まらなくて…… 正直、イライラしてる」
聡がいない………
その言葉を反芻する。
「考えが浅はかだね。聡がいなくなったからと言って、君が僕の方を向いてくれるというワケでもないのに……」
「そのうち戻ってくるわよ」
―――― 無意識だった。
自分の口から出た言葉とすら思えない。まるで誰か別の人間が、自分に取り憑いて勝手に口を使ったかのような、そんな錯覚にさえ思える。
両肩、先日聡に捕まれた両方の肩を、今度は瑠駆真の手が掴む。
「どういう……… こと?」
その瞳に激しい憤りのようなモノを感じ、美鶴は慌てて後ずさった。だが、瑠駆真の両手からは逃れられない。
「そのうち? そのうちって、何?」
「何って………」
言った自分ですら、よくわからないのだ。
そのうち…… 何が?
戻ってくる…… 誰が?
…… 誰が?
……… 聡が?
…………
聡と、またこの駅舎で、放課後を過ごす日々がやってくると、私はそう思っているのか………?
バカなっ!
聡にとって、私はただのお遊びだったんだっ!
「瑠駆真とさ……… 毎日会ってんのか?」
不安と苛立ちの混じったような、少し心許なさそうな顔。
「好きだ」
聡の言葉が、耳の奥で木霊する。
ならなぜ、バスケ部などに入部した?
バスケがやりたかったから? いや、聡はバスケ部に入部するのを嫌がっていたはずだ。
バスケ部に入れば、自分と疎遠になることも、わかっていたはずだ。
何か理由でも………
理由って何? そんなの、あるワケないじゃんっ!
二人の自分が言い争う。
何? アンタ、自分が聡に好かれてるって、信じたいの?
あの日。新緑の到来を告げる若葉の下。
駆け抜ける美鶴へ向かって、木漏れ陽がカラカラと囀る言葉。
信じたい?
「美鶴?」
だが美鶴の耳には、誰の声も届いてはいない。
違うっ! 違うっ! 聡のコトなんて、信じてないっ!
それなのに、美鶴のどこかで、何かがひっかかる。
聡は……… どうしてバスケ部なんぞに入部したのだ?
「美鶴?」
何か―――
「美鶴っ!」
―――――っ!
抱きしめられてしまった。
押し戻そうと両手で胸を押したが、全く間に合わない。
「今、誰のコトを考えてた?」
毛先の不揃いな髪に顔を埋める。
「誰のコトを考えてたんだっ?」
強く強く抱きしめられ、呼吸もままならない。
「聡のコトを、考えてただろ?」
何も答えない美鶴に、瑠駆真はさらに腕の力を強める。
「どうして?」
どうして?
「僕じゃダメなのか?」
こんなに傍にいるのに………
「僕じゃなくて…… 聡なのか?」
最後はほとんど消え入るような擦れた声で、あとはただ美鶴を抱きしめる。
君との距離は、縮まらないのか―――っ!
そのほっそりとした肩。白く清らかな首筋。腕の中で荒く上下する胸の動きに、瑠駆真は全身が高揚するのを感じた。
――――離したくないっ
競りあがる想い。このような感情、以前の瑠駆真には決して存在しなかった。
いや、存在しなかったワケではない。ただ、心の奥底に仕舞い込まれて、表に出てくることが、滅多になかっただけなのだ。
そう、以前の彼ならば―――
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