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【アラベスク】  第3章 盲目Knight



第2節 西からの風 [18]




 美鶴は慌てて立ち上がった。
「なっ なによっ」
「ヘンなコト言うなっ! メリエムはそんな女じゃないっ!」
「そんな女ってっ?」
「メリエムが好きなのは僕なんかじゃないっ! 誤解するなっ!」
「べっ 別に、そんなコト言ってないじゃないっ。そこまで怒らなくったって……」
 言い過ぎたとは思いながらも、それを素直に認めることのできない美鶴。謝ってしまえば済むものを、わざと油を注いでしまう。
「そんなに腹立てるなんて、余計おかしい。アンタひょっとして、メリエムさんのコトが好きなんじゃ―――」

 ―――――っ!

 それ以上、口にすることができなかった。
 (すご)み―― とは、このような迫力のコトを言うのだろうか。

 全身が固まる。

「じょ… 冗談よ」
 完璧に圧倒されているにも関わらず、この()に及んでもなお憮然とした態度。瑠駆真は軽く唇を噛む。
「冗談でも……… 言って欲しくはない」
 微かな苛立ちを眉宇(びう)に漂わせ、視線を落す。
「僕が好きなのは、君だけだ。それ以上の人はいない」
 わかっているはずだ
 そう言いた気な瞳を向けられ、今度は美鶴が視線を外す。
 認めざるを得ないという思いと、認めたくないという思い。認めてはならないと叱咤する思いがグルグルと渦巻き、どう対応していいのかわからない。
 そんな戸惑いをチラつかせる美鶴の表情に、瑠駆真がホッと我を取り戻す。
「悪かった。……言い過ぎた」
 だが……
「聡がいないのに君との距離が縮まらなくて…… 正直、イライラしてる」
 聡がいない………
 その言葉を反芻(はんすう)する。
「考えが浅はかだね。聡がいなくなったからと言って、君が僕の方を向いてくれるというワケでもないのに……」

「そのうち戻ってくるわよ」

 ―――― 無意識だった。

 自分の口から出た言葉とすら思えない。まるで誰か別の人間が、自分に取り憑いて勝手に口を使ったかのような、そんな錯覚にさえ思える。
 両肩、先日聡に捕まれた両方の肩を、今度は瑠駆真の手が掴む。
「どういう……… こと?」
 その瞳に激しい憤りのようなモノを感じ、美鶴は慌てて後ずさった。だが、瑠駆真の両手からは逃れられない。
「そのうち? そのうちって、何?」
「何って………」
 言った自分ですら、よくわからないのだ。
 そのうち…… 何が?
 戻ってくる…… 誰が?
 …… 誰が?
 ……… 聡が?
 …………
 聡と、またこの駅舎で、放課後を過ごす日々がやってくると、私はそう思っているのか………?

 バカなっ!
 聡にとって、私はただのお遊びだったんだっ!

「瑠駆真とさ……… 毎日会ってんのか?」

 不安と苛立ちの混じったような、少し心許なさそうな顔。

「好きだ」

 聡の言葉が、耳の奥で木霊する。
 ならなぜ、バスケ部などに入部した?
 バスケがやりたかったから? いや、聡はバスケ部に入部するのを嫌がっていたはずだ。
 バスケ部に入れば、自分と疎遠になることも、わかっていたはずだ。
 何か理由でも………
 理由って何? そんなの、あるワケないじゃんっ!
 二人の自分が言い争う。
 何? アンタ、自分が聡に好かれてるって、信じたいの?
 あの日。新緑の到来を告げる若葉の下。
 駆け抜ける美鶴へ向かって、木漏れ陽がカラカラと(さえず)る言葉。


    信じたい?


「美鶴?」
 だが美鶴の耳には、誰の声も届いてはいない。
 違うっ! 違うっ! 聡のコトなんて、信じてないっ!
 それなのに、美鶴のどこかで、何かがひっかかる。
 聡は……… どうしてバスケ部なんぞに入部したのだ?
「美鶴?」
 何か―――
「美鶴っ!」

 ―――――っ!

 抱きしめられてしまった。
 押し戻そうと両手で胸を押したが、全く間に合わない。
「今、誰のコトを考えてた?」
 毛先の不揃いな髪に顔を埋める。
「誰のコトを考えてたんだっ?」
 強く強く抱きしめられ、呼吸もままならない。
「聡のコトを、考えてただろ?」
 何も答えない美鶴に、瑠駆真はさらに腕の力を強める。
「どうして?」
 どうして?
「僕じゃダメなのか?」
 こんなに傍にいるのに………
「僕じゃなくて…… 聡なのか?」
 最後はほとんど消え入るような擦れた声で、あとはただ美鶴を抱きしめる。
 君との距離は、縮まらないのか―――っ!
 そのほっそりとした肩。白く清らかな首筋。腕の中で荒く上下する胸の動きに、瑠駆真は全身が高揚するのを感じた。

 ――――離したくないっ

 競りあがる想い。このような感情、以前の瑠駆真には決して存在しなかった。
 いや、存在しなかったワケではない。ただ、心の奥底に仕舞い込まれて、表に出てくることが、滅多になかっただけなのだ。

 そう、以前の彼ならば―――







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